キリスト教の問題点について考える

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エルサレム神殿

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岩のドーム - Wikipedia

 

エルサレムの「岩のドーム」をご存知でしょうか。現在は、サウジアラビアの「カアバ神殿」、同じくサウジアラビアの「預言者のモスク」に次ぐ、イスラムの第三の聖地となっていますが、元来はユダヤ教唯一神殿があったところで、岩のドームの「岩」とは、アブラハムが、息子イサクを神に捧げるための祭壇として用いようとした岩であるとされ、ダビデが契約の櫃を安置し、ソロモンが神殿を建設した場所でした。

エルサレム神殿に関する、イエス様の言動でまず思い出すのは、ヨハネ福音書にある次の箇所でしょう。

ヨハネ福音書 2:13-20

さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスエルサレムに上られた。そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。

エス様のころのイスラエルは、外国の偶像崇拝やその習慣が入り込んで、実に混沌とした状態であったのだそうです。福音書では象徴的に「商売の家」と表現されていますが、おそらく、異教の迷信や、多神教的で卑猥な見世物小屋、外国の異教的なお守りや神札、絵札の類などの出店が並んでいたでしょう。また、外国の宗教儀式は、それ自体にエロティックな要素が含まれていたのです。出エジプト記からそのことを知ることができます。

出エジプト記 20:26

あなたは階段によって、わたしの祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所が、その上にあらわれることのないようにするためである』。

出エジプト記 28:42

また、彼らのために、その隠し所をおおう亜麻布のしたばきを作り、腰からももに届くようにしなければならない。

宗教儀式といえば、周辺の異教の国々では、神官の隆々と鍛え上げられた肉体を見て楽しみ、その陰部の状態の変化を見て楽しむ娯楽ショーだったのです。しかし、イスラエルの宗教からはそのような要素を除外しなくてはならないよ、と言っているわけですが、そう言って禁止せねばならなかったということは、実際にはそういうことがあったからなのでしょう。宗教儀式には男性しか参加できませんでしたので、これは男性同性愛に関わる事柄です。現在でも、ユダヤ教で男性同性愛が禁止され、女性同性愛が大目にみられているのはこういう記述に基づいてのことでしょう。男性の同性愛が禁じられている理由は、同性愛そのものが問題視されたわけではなくて、儀式の娯楽化を防止するためだったのだと言えると思います。

列王記や歴代史を読めば分かる通り、イスラエルが純然たるユダヤ教国家であった期間は長く続いていません。周辺諸国の異教の習慣に染まりきっていたのです。イエス様のときにもそうだったのでしょう。

エス様が言い放ったとおり、直後に起こったユダヤ戦争によって唯一神殿は失われてしまいました。そしてその後、少なくとも現在まで2000年間、一度も再建はされていません。唯一神殿で燔祭を行うことが出来ない現状は、実質的には、ユダヤ教は根絶されてしまった状態だとも言えるでしょう。

香炉を弄んだものを打って殺してしまう、それほどの情熱は宗教からは無くなってしまっている。宗教が娯楽や欲望のはけ口でしか無いのであれば、もはや不必要である。イエス様はそう言いたかったのです。神殿の破壊は不必要となった悪しき習癖である宗教を、三日で再建されるものは本来あるべき人間性の回復を象徴しています。

エス様が本当に望んだことは、宗教の根絶だったということです。