キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

宗教と博打

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investment.tvshoppings.com

 

『宗教と博打の信条、「他人の不幸は蜜の味」』というブログ記事を見つけました。

hikikomorilife.net

一部引用してみましょう。

博打の他にも、「他人の不幸で飯を食う」ビジネスには、ブラック労働のピンハネ業や詐欺など犯罪行為を持ちかけて「収入」の一部をせしめる稼業、そして宗教も挙げられるでしょう。
ここで注目したいのが、宗教。こいつが一番の天才的「貧困ビジネス」じゃないかなと思っています。
悩みを抱えている人って、自力での解決が出来ない程に追い詰められていて、そこにつけ込んで「あなたが幸せになるにはここしかない」といった心境になる様、「思考の刷り込み」を行う。ブラック企業の離職抑制策にも応用されている手法です。
嵌まっちゃった彼らに共通するのが、「苦しむことを歓びのように捉えてしまうこと」。冷静に考えて「やらなくていいこと」をムキになってやりたがる、強要する。時間と労力の効率向上策について意識することすら無い。苦しむことだけが解決策だと思い込み、周囲に強要する。正に苦労基地外。「使う側」にとっては都合のいいカモです。

おっしゃる通りだと思います。『「あなたが幸せになるにはここしかない」といった心境になる様、「思考の刷り込み」を行う。』まさにその通りです。

僕の通っていた、伝統的で穏健と評価される教会でさえ、少しでも多くの献金を行えば、その分天に宝を積むことになる、と言っていました。キリスト教なんて、全てブラック企業なんですよ。信者は刷り込まれて従順になった教会のカモに過ぎません。情緒が不安定で、常識的な理屈を捨て去った異常者。そうとしか見えません。