キリスト教会による性的虐待は、今始まったことではないのですが、今回はオーストラリアのキリスト教団体による性的虐待が報道されました。
カトリック聖職者の独身主義が問題の一因だと指摘されているのだそうですが、被害存命者の64.3%は男性だと言うのですから、教会における性的犯罪の大半は、そもそも結婚したくない、できない、同性愛の聖職者によって行われているのです。ですから、結婚していることがカトリック司祭になるための最低条件だ、ということにするなら多少の効果はあるかもしれませんが、結婚を許可するかどうかが犯罪の抑止に役立つかどうかというと、あまり関係なさそうにも思います。
現状のカトリックの司祭は、その理由だけで犯罪者だと言っても言い過ぎではないでしょう。だって実際このような報道があるではないですか。違うでしょうか。
結婚できないからとか、そういったようなことではなくて、不自然な教義を、教理教育という洗脳によって無理やり叩き込むような、キリスト教という宗教の性質そのものが、性的虐待という犯罪に直結しているのだと思います。