使徒言行録には「サウロの回心」と言われるエピソードが記録されています。見てみましょう。
使徒言行録 9:3-7
ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。
そして、後にこの出来事を説明する際の発言を見てみましょう。
使徒言行録 22:6-9
旅をつづけてダマスコの近くにきた時に、真昼ごろ、突然、つよい光が天からわたしをめぐり照した。わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。すると、その声が、『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。わたしと一緒にいた者たちは、その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞かなかった。
あと一箇所、アグリッパ王への弁明の場面では
使徒言行録 26:13-14
王よ、その途中、真昼に、光が天からさして来るのを見ました。それは、太陽よりも、もっと光り輝いて、わたしと同行者たちとをめぐり照しました。わたしたちはみな地に倒れましたが、その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。
お気づきでしょうか。最初、同行者たちは
「声だけは聞えたが、だれも見えなかった。」
と説明がありますが、22章では
「その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞かなかった。」
そして26章では
「それは、太陽よりも、もっと光り輝いて、わたしと同行者たちとをめぐり照しました。」
と記述されています。
僕は、説教で、「パウロは慌て者だったので言い間違えたのだ」という説明を聞いたことを憶えていますが、おそらく皆さんも同様のことを聞いた、または教えられたでしょう。
しかし、使徒言行録はパウロではなくて、ルカ福音書の作者によって著作されたものです。使徒言行録はルカ福音書の続編なのです。著者自身の記憶から書いたとしても、何らかの伝記や言い伝えのようなものから書いたとしても、このような間違いがあることは不自然なことです。
この不思議な痕跡は、実際にはある種のメタファーなのだと考えれば納得できます。つまり、迫害されるが、やがて迫害者本人によって認められる。そしてその本人は、迫害側の主流派の一員であり、有力者であったのだ、という当時一般の宗教セオリーを一通り書いておきましたよ。でも本当のことじゃないからわかる人にはわかるようにしておきましたよ、という符牒だったのではないでしょうか。
そうです。あなたのご指摘とおり、ただの妄想なんですけどね(笑)。