キリスト教の問題点について考える

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聖書と数字

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聖書には様々な数字が現れます。イスラエルの12部族、イエスの弟子が12人、12の小預言書、黙示録の新しいエルサレムには東西南北に3つづつ、合計12の門がありますし、年に12回実を結ぶ生命の木がありました。

また、出エジプトに要した年数が40年、荒れ野での断食が40日間、のように、特に12と40が多く出現します。

12という数字は、太陰暦による12ヶ月、一日の昼と夜がそれぞれ12時間、というように、人間にとって自然な区切りである数のようで、1ダースが12、12ダースが1グロス黄道12宮、十二支、十二単衣、十二神将など、世界中に区切りの数として12が現れています。

12は、最初の完全数6を二度繰り返した数でもありますが、「二度繰り返す」ということは出エジプト記の幕屋建設の指示と報告にあるように、宗教的には「天地」や「応答」の関係を表していて重要なことのようです。法華経にも同様の表現があります。40は、その12と、二番目の完全数28を足した値です。

日本の場合は3と8でしょう。大和三山三種の神器、八岐の大蛇、八咫烏は三本足、八重垣、八雲、大八洲(島)、八尋殿、八百万の神、八百八町、八百八橋など。

日本には「嘘の三八」と言って、お話に3と8が出てきたら、実話ではなくて喩え話や神話の類だと思え、という格言がありますが、聖書も同じです。

12人の兄弟の子孫が、それぞれ識別できる状態で独立した部族を形成し、40年かけてエジプトからカナンに向けて移動した、と読んだところで、これは実話じゃなくて物語だな、と理解しなくてはなりません。

一人の男が、40日間荒れ野で断食をして、12人の弟子を得て説教をし、死刑になって蘇って40日後昇天した、とあれば、創作神話だな、と気づかねばならないわけです。