キリスト教大辞典

キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

「証し」とは

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「証し」という宗教行事をご存じでしょうか、カトリック正教会聖公会や伝統的プロテスタント教会には見受けられませんが、聞いたことぐらいならある、という方もおられるでしょう。新興教会で行われている習慣のようです。

私は、以前救世軍の礼拝を見学したときに始めて見ました。救世軍福音派に属するキリスト教プロテスタントの一派で、上の写真を見ると軍事フェチ同好会がコスプレして記念写真撮っているのかと思ってしまいますが、残念ながらそうではありません。真面目にやってるのです。この教会は洗礼を行いませんが、元々はメソジスト教会の付属団体でしたので、この団体としては洗礼を行う必要がなかったから、ということらしいです。救世軍の構成員イコールメソジスト教会の会員だった、というわけです。その後、メソジスト傘下から独立したのですが、洗礼を行わない習慣はそのまま残ったということなのでしょう。救世軍キリスト教の教会で、異端に分類されているわけでもありませんが、洗礼は行いません。

救世軍と言えば社会鍋やラッパが有名で、やはり礼拝中にもバンド演奏がありましたが、とてつもなく下手くそでした。

それで、その「証し」ですが、要するに、各個人別に感じている「神の実在」の証明を行うための発表会です。

その日の当番発表者らしい5、6人の人が、一人づつ講壇に立って、どもったり詰まったりしながら同じようなことを何度も繰り返し、つまらない冗談を交えて、あるいは感情的になって怒鳴りながら意味のないことを長々と話続けていました。

そして、いずれの人も、救世軍に入信する前は、とても悪い人間だった、と主張するのです。自分はかつてこんなに凶悪な人間だった、ということを自慢しているとしか思えない口調で言い募っていました。違法行為をしていた、という人もいました。

で、そんなに悪い人間だったが、救世軍に入信して良い人間になった、というわけです。

まあ、自分たちの団体の中でやってることですから、外から文句を言う筋合いでないことはよくわかっているのですが、見苦しい自慰行為を見せられているようで、聞いていてとても気持ち悪くなりました。

要するに、キリスト教の教義は奇妙奇天烈なこじつけで、賢明な人であればとても納得できるようなものではないのだけれど、無理にでも信じれば、自分のようになんとなく幸せな感じになることができるよ、と言っているわけで、聞いてる人たちには、あの喋ってる人のような考え方をすれば、この団体でうまくやっていくことができるんだな、頑張って同化するように努力しよう、と考えさせているわけです。

世の中、奇妙奇天烈なこじつけにしか思えないが、実は正しい、なんてことは無いと思いますよ。無理して信念曲げてまで安物の団体に同化する必要は無いと思います。止めたほうが早いです。

 

本当に実在するものであれば、別に「証し」する必要なんて無いはずです。本当は存在しないのだということを承知しているからこそ、定期的に「証し」をして思い込みの固定がはずれてしまわないようにする必要があるのでしょう。じつに滑稽です。

 伝統教会には、伝統に色付けされた様々なインパクトがあります。例えば華麗な建築や彫刻、絵画、荘厳な礼拝様式、祭服、様々な儀式や、聖人の記録、武装十分な教理や教理問答などです。

そういうものが無い新興教会は、直接的な力技でインパクトを生み出す必要がある、それが「証し」だというわけです。

どちらも同じ「詐欺」。