アレクサンドリアという映画が公開されたのは2009年ですから、このブログをご訪問下さる方の中にはご覧になった方もおられると思います。
西暦4世紀、キリスト教が定着し異教の排斥が行なわれ始めた時代の、女性天文学者ヒュパティアの学問に殉じた半生をアレクサンドリアを舞台に描く。天動説に疑問を感じ、何らかの地動説を肯定できる理由を模索し続けた彼女は、弟子のオレステスや奴隷のダオスに愛慕を受けるが、それを拒み研究に没頭してゆく。その一方でキリスト教徒は、自らの宗教の絶対性を民衆に訴え、古来の神々を愚弄する。ヒュパティアの父テオンらはこれに憤り、剣を抜いて応戦するも退けられ、クリスチャンである皇帝は異教徒の一方的な罪を宣告する。アレクサンドリアの大図書館は異教の魔窟として破壊され、異教徒には改宗か出国しか道は残されなかった。その中で改宗を拒み、青年たちに学問を教え続けるヒュパティアは、都の人々から魔女とみなされる。
だんだんと勢力を増し、ミラノ勅令によってキリスト教が公認され、ローマの国教となっていく激動の時代に於けるキリスト教の実態をテーマに作成された映画です。
映画ではキリスト教徒が悪役であって「暴徒」のように描かれています。「アレルヤ!」と叫びながら異教徒である天文学者を惨殺し、町々を破壊し、傍若無人に悪行の限りをつくす様は、現代のイスラム国の蛮行を彷彿とさせます。
さて、この頃教会は存在したのでしょうか。映画の主人公ヒュパティアがキリスト教徒に惨殺されたのは415年でしたが、ローマ帝国が国教をキリスト教に定めたのは392年ですから、教会は存在したのです。多くの人は、原初キリスト教はローマカトリック教会だと考えているようですが、違います。最も原初には、今で言えば正教会だけが存在しました。五大総主教区(ペンタルキア)というものがあって、ローマはその一つに過ぎなかったのです。この映画に出てくるアレキサンドリアも総主教区の一つであって、ローマとアレクサンドリアの総主教にはパーパというタイトルが尊称として与えられていましたが、総主教区に実質上の優劣はなく、すべての総主教区は同等であった、ということです。現在もこの伝統は受け継がれており、数は5つだけではなくてもっと増えていますが、いずれの総主教も優位性を主張しない、という伝統はそのままです。ですので、使徒の長であるペトロの後継者を主張するカトリック教会(正教会からみればローマの総主教区)は異端的反逆者であって、同じコミュニオンには受け入れがたい存在である、というわけです。すなわち、客観的にみて、カトリック教会は正教の伝統から逸脱した離反者だという観察が正となります。1054年のローマ総主教とコンスタンティノポリの総主教の相互破門事件を持って東西大分裂(大シスマ)となったという説明がほとんどですが、これは総主教同士の個人的な破門でしたので、決定的な出来事ではありませんでした。実際には、395年にローマ帝国が東西に分裂したこと、476年に西ローマ帝国が滅んだこと、また、後に起こる十字軍問題などが相まって、徐々に分裂していった、ということなのでしょう。詳しくは 東西教会の分裂 - Wikipedia を御覧ください。
さて、キリスト教にとって都合の悪い存在であった女天文学者ヒュパティアを殺すように、また、キリスト教の教義が捏造である、という都合の悪い証拠資料が山のように存在するアレクサンドリア図書館を破壊するように命令を出したのは、正教会の指導者であるアレクサンドリア総主教のキュリロスという人物でした。この人物は現状、正教会、カトリック、聖公会、ルター教会において「聖人」として崇められています。
Wikiによればヒュパティアはカキの貝殻で生きたまま肉を骨から削ぎ落とされて殺害された、とありますね。そんな殺し方がありますか?そんな残酷なことができますか?一体どこから削ぎ落として行ったのでしょうか。乳房?性器?眼球でしょうか。恐ろしい話ですね。まさに狂信者。キリスト教のDNAにはそれが組み込まれているのでしょうか。
このブログで主張していることは西方教会の話だから正教会は無罪だと言ってくる正教徒がいますが、私に言わせればキリスト教なんてどれもこれも同じ。目くそ鼻くそ、似たようなものです。正教であろうがエホバの証人であろうが同じような詐欺師の集まりでしょう。違うというのであれば天国の写真でも撮ってきて見せてください。