キリスト教大辞典

元クリスチャンによるキリスト教の批判的概解説

同性愛

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Jesus in Love Blog: David and Jonathan: Love between men in the Bible

 

キリスト教、特に正教会カトリックプロテスタント福音派ですが、これらの教会は同性愛を禁じています。何を禁じているのかというと、同性愛行為だけではなくて、同性を恋愛の対象として考える事、そのものを禁じています。その根拠はなにでしょうか、聖書を読んで見ましょう。

 

レビ記20:13

女と寝るように男と寝る者は、ふたりとも憎むべき事をしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう。 

 

なるほど、本当に書いてある、それはダメだわな、というのは幼稚な読み方、本質を知ろうとしない姿勢です。もっと踏み込んで解析してみましょう。

 

そもそも律法とは、総則(十戒と言われる箇所)と、細目から成っています。レビ記には細目が記されているのですが、今問題にしているこの箇所は、総則のどの条項についての細目なのでしょうか、見てみましょう。同じレビ記の少し前の章に明記されています。

 

レビ記18:1-2

主はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしはあなたがたの神、主である。 

 

つまり、十戒の「わたしのほかに神があってはならない。」を補足する細目をこれから述べますよ、と言っているのだということがわかります。

しかし、「わたしのほかに神があってはならない。」を補足するために同性愛を禁じるでしょうか。そんなことはおかしいですよね。この命令は、同性愛を禁じる命令では無くて、敵対国の習慣に同調するな、ということを言っているわけです。具体的に言えば、ギリシャ少年愛です。同性愛そのものではなくて、ギリシャの風習に侵食されるな、イスラエルの独自性を守れ、というのが本当の意味なのです。 

だから「女と寝るように男と寝るな」と表現されているのです。同性愛者は女と寝るつもりで男と寝ますか?考えればわかることです。

ギリシャには風習としての女性同性愛はなかったので女性については言及されていないわけで、本当に同性愛そのものがダメだというのであれば、男女とも明確に禁止されているはずではないでしょうか。

 男であれ、女であれ、真剣に心の底から好きになったものが同性であったとして、それを罰する神は合理的ではありません。神は、叡智の限りを尽くして作り出された人間の道具です。そんな不合理なものを神として君臨させるはずがないのです。

 

聖書には、同性愛を賞賛する記述があります。

サムエル記下1:26

わが兄弟ヨナタンよ、あなたのためわたしは悲しむ。あなたはわたしにとって、いとも楽しい者であった。あなたがわたしを愛するのは世の常のようでなく、女の愛にもまさっていた。

 

 これは盟友ヨナタンに対するダビデの賛辞です。この感情は明らかに同性愛です。それ以外の可能性を探る必要はありません。聖書、少なくともユダヤ教の聖書は、本質的な意味に於いては同性愛を禁じてはいないのです。

 

他人を性の道具にして嬲りものにしたり、淫らな欲求のために他人と性的な遊戯をしたりすることは相手が同性異性に関わらずよくないことです。

しかし、純粋な恋慕の情までを押し殺すべきと強制するのであれば、聖書を正しく理解する能力のないものによる、野蛮な洗脳だとしか言いようがありません。