キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

予定説

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ジャン・カルヴァン - Wikipedia

 

Wiki予定説では、予定説について次のように説明されています。

予定説(よていせつ)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。

 

しかし、それは納得の行かない説明です。予定説に否定的なのではありません。あまりにも当たり前過ぎると感じるからです。「神は全知」だというのですから、神は何もかも知っていて当たり前だと思います。

 

時間も神による被造物であるはずです。そして全ての被造物は時間に制約されていますが、神は時間に制約されません。「この世の終わり」も神の創造物であって、世のはじめから終わりに至るまでの全てを既に知っているはずです。神自身が創造したのですから。人間が人生の途上において何を選択するか知らないのであれば、神は創造の業を成し終えることが出来ないはずです。

 

しかし、正直にそう言ってしまうと、教会の必要性が失われてしまいます。人は、教会に罪を懺悔し、教会の取りなしがなければ死後天国へ行く事ができない。教会は人間にとって必要欠くべからざるものである、と言わなけれはならないわけです。初めから決まっていてだれがどうしようが何も変わらない、という真実は隠蔽するしか無い、ということになるわけです。

感謝祭

「感謝祭」って時々耳にしますが、誰が何に「感謝」する祭りなんでしょうか。

 

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文化がわかれば英語もわかる!サンクスギビング・デーに関する英語表現まとめ

 

Wikiの「感謝祭」から「感謝祭の由来」を引用します。

感謝祭は、イギリスからマサチューセッツ州プリマス植民地に移住したピルグリム・ファーザーズの最初の収穫を記念する行事であると一般的に信じられている

 

次に、同じ感謝祭」から「アメリカ合衆国における感謝祭の起源説」を引用しましょう。

現在の感謝祭の起源として一般に信じられているのは、イギリスから現在のマサチューセッツ州プリマスに宗教的自由を求めて移住して来たピルグリムと呼ばれる入植者の一団が、本国から持ってきた種子などで農耕を始めたところ、現地の土壌に合わず飢饉による餓死者まで出したところ、アメリカ先住民の助けにより危機を脱したので、その感謝を表す目的で1621年に先住民を招いて収穫を祝う宴会を開いたことである。現場にいたウイリアム・ブラッドフォードやエドワード・ウインスローらの私記によれば、宴会は3日間続き、入植者53人と先住民90人が参加したとある。1623年7月30日には、最初の正式な感謝祭が開かれた。

 

それでは、「教会は最大の犯罪組織」というサイトから「アメリカの征服」という項を引用します。

コロンブスの発見の50年後すでに、カトリック教徒のスペイン人は百万人のインディオ達を殺害したり、拷問や強制労働で虐待したり、レープ等で梅毒や他の伝染病をうつして死に至らしめました。

発見から150年後にはアメリカ全体で1億人先住民が死に絶え、ドイツのSuedwestpresse (1992・5・2)によるとそれは征服地域の人口の90%以上に当るとのことです。アメリカの征服とは、史上最大の人種抹殺でした。 大勢の民族と民族文化が永遠に滅ぼされました。それに比べ、ヒトラーは何と腑甲斐ない職人だったことでしょう。

キリスト教徒のインディオ殺しは残酷で、例えばインディオを13人ずづ絞首台にかけ下からは小さい火を燃やし、絞め殺すと同時に焼き殺したのです。何故13人ずつかと言うと、救い主のイエスキリストと12使徒の名誉のためでした。また、インディオの子供の頭を岩や木に投げつけ、生きたまま犬の餌にしました。こういた「立派な」行為を熱心に書き留め、その記録をスペイン宮廷に送りました。当時、後に司教となるラスカサス僧(LasCasas)を除き、司祭等のカトリック聖職者は特にインディオという悪魔の子孫を絶滅させたかったのです。現在カトリク教会は「当時人々はやり過ぎた。残念ながら教会はインディオ達を守れなかった」と事実を捻じ曲げています。そして教会は当時カトリックの聖職者から一線を画していたラスカサス司教のインディオスに対しての同情を引用するのです。しかし、ラスカサス司教は真にヒューマニストだったのでしょうか。彼は衰弱したインディオ達が鞭と強制労働で数多く死ぬのを見た時、どんな人道的な解決法を見出したでしょうか。そうです。このラスカサス司教、残酷な時代にありながらキリスト教の愛を満たしたインディオの救い主であったとしてカトリックの広告塔として利用されているこの人物こそ、アフリカの黒人を奴隷として働かせればインディオが救われると考え、新しい悲劇となるところの奴隷栽培を創始した、その張本人なのです。しかし、インディオ達もそれによって救われることはなく、殺戮され続けました。

ハツアイ(Hatuay) と言うインディオ族長は、火あぶりになる前に宣教師から「洗礼を受ければ天国に行けます。洗礼をしますか。」と聞かれた時 、天国にはキリスト教信者がいるのかと質問しました。「勿論」と宣教師が答えると、「じゃ、結構です。そんな残酷な人と一緒になりたくない。仲間のいる地獄の方がいい。」と断りました。(ドイツ新聞taz,1987・2・21からの引用)
ハツアイ族長の様な反応から、当時のクリスチャンはインディオ達が無知の悪魔族だと確信しました。今もなお、クリスチャンは自分達は他人より偉いと思い込んだまま、この世を移動し、宣教活動にあったているのです。

 最後に、再び Wikiの「感謝祭」から「インディアンにとっての感謝祭」を引用しましょう。

一方、インディアン達は「感謝祭」は、この日を境に先祖達の知識や土地がヨーロッパからの移民達に奪われた、「大量虐殺の始まりの日」としている。
1969年のアルカトラズ島占拠事件では、これに賛同したインディアンたちは「感謝祭の日」に合わせて数百人がアルカトラズ島に上陸した。
ワンパノアグ族を中心に、ニューイングランドのインディアン部族が結成する「ニューイングランド・アメリカインディアン連合」は、「ピルグリムファーザーズ」のこの「感謝祭」にぶつけて同じ日に、「全米哀悼の日 (en)」としてデモ抗議を毎年行い、喪服を着て虐殺された先祖達に祈りを捧げている。
また、感謝祭の翌日の金曜日は「アメリカインディアン遺産記念日」(American Indian Heritage Day)として、合衆国におけるアメリカ先住民の位置を認識し高めるための祝祭行事を行い、かれらの伝統文化や言語の遺産を再認識するための日になっている。

 

 

洗礼

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キリストに洗礼を施す洗礼者ヨハネ

 

マルコによる福音書 第1章第2-11節

預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川ヨハネからバプテスマを受けた。このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。わたしは水におまえたちの身を沈めたが、そのかたは、聖霊に身を沈めてくださる」。そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。ると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

 

Wikiの「洗礼」の項には洗礼者ヨハネについて、

洗礼者ヨハネ以外にも、西方ミトラ教やマンダ教、エルカサイ派などの「洗礼教団」が中東地域に存在し、洗礼の儀式を行っていた。 

 

と説明されています。

洗礼者ヨハネユダヤ教徒ではあったのかもしれませんが、流行りの宗教が行う儀式の真似事をして大衆に迎合していたミーハーだったのです。そしてイエスもそれを受け入れたと記されています。

新約聖書を注意深く読むことにより、キリスト教が実際にはユダヤ教の進展では無く、当時流行していた様々な宗教が混成されてできたいびつな新興宗教だったのだということを知ることができます。

 

 

下半身事情

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キリスト教の指導者には非常識者が多いようですが、特にカトリックの下半身事情は目に余ります。「カトリック 小児性愛」のようなキーワードで検索してみますと、沢山の記事やサイトがヒットします。

 

一つご紹介しておきましょう。

映画では描かれなかった、あまりに重い教会の犯した罪のディティール 書籍『スポットライト』

 

映画では描かれなかった、あまりに重い教会の犯した罪のディティール 書籍「スポットライト」
スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪』(2016年4月7日、竹書房
 
 

本書は映画「スポットライト」の原案となったボストングローブ紙の600本以上の報道記事をまとめたノンフィクション。映画は取材を続ける記者たちの奮闘をハリウッドテイストで描いた作品だったが、詳細な事実が報告されている本書は、映画よりずっと重く、そして教会に重要な問いを投げ掛けている。

最初に映画の監督と脚本家の序文が寄せられている。新聞は今茨の道を歩んでおり、新聞販売の売り上げは十数年間で半分以下まで落ち込んだという。その中で、時間と労力と資金がかかる昔かたぎの「調査報道」はもはや不要と言う人もいるが、だからこそ映画「スポットライト」は撮影された、と2人は書いている。その映画がアカデミー賞を受賞し、日本でも話題になっていることは、本当に喜ばしいことだ。

全米最大のカトリック都市、ボストン

本書を読むと、事件の背景としてボストンは、都市部に住む380万人のうち200万人以上がカトリックで、米国で唯一人口の半分以上がカトリック教徒を占める大司教区の要であり、全米で最も政治家、警察、法曹、企業の重役に信徒が多く、これまで聖職者の不祥事の隠蔽に大なり小なり協力的だった、ということが挙げられている。

しかし、結果的にそれは多くの人たちの人生を損ない、命すら奪い、そして金銭的にも高くついた。1950年から2015年までに、米国だけで1万7259人の被害者が6427人の司祭を訴え、教会は結局和解のため計30億ドル(約3249億円)以上の和解金を支払い、12の司教区が破産を申請した。

貧困、片親家庭を狙って行われた犯罪

映画でも描かれた、ジョン・ゲーガン神父は、数十年にわたり、名乗り出ただけでも200人近い人々がレイプされたり触られたりしたと主張し、教会に苦情を申し立てていたという。特に痛ましいのは、彼がとりわけ貧しい家庭や、片親の子どもたちを狙っていたことだ。そのような家庭では、神父は父親のような絶対的に信頼できる存在であり、家庭もそれを歓迎し、無防備であることを知っていたからだという。

大規模な報道がなされる前から、子どもが性的被害に遭ったことを知った親が教会に苦情を申し立てたケースもあったが、多くの場合、そのせいで教会内で避けられるようになり、スキャンダルを誘発していると責められた。ゲーガンに4歳の息子が性的虐待されているのを知り、訴えたある母親は、「子どもに教えてきた全て、神と安寧と信頼が砕け散ったわ」と語っている。

子どもたちの言葉もまた痛ましい。「神父様がこのことをママに言ったらだめだって、これは懺悔(ざんげ)だから」「神様はもう僕を愛していない」

教会の隠蔽の構造

このようなケースは他にも多数報告されていたにもかかわらず、教会が組織として隠蔽していた。問題を起こした司祭は、教区を転任するなど“たらいまわし”にされ、多くの場合転任先で同じような事件を再び起こした。教会付属の治療機関に入院させられた者もいたが、数年後出所して教会に赴任すると再び問題を起こした。

すでに1985年には、カトリックの司教全国会議で、精神医、弁護士、教会法の専門家によって「小児性愛は生涯にわたる病質であり、今のところ、時が癒やしてくれるという望みはない」と人事・訴訟リスクが強く警告されていたが、1990年代初めまで全国200以上の司教区では、レポートはほとんど無視されていた。

一方で、訴訟は頻発しており、1984年には9人の被害者に内密に420万ドル(約4億5500万円)が支払われ、1990年には損害賠償として360万ドル(約3億9千万円)が支払われ、聖職者による性的虐待裁判の判例として記録されていた。ニューメキシコ州サンタフェでは200件の訴えで、推定2500万ドル(約27億円)から5千万ドル(約54億円)の和解金が支払われ、教区は破綻の瀬戸際に追い込まれた。

しかし、教会を訴えたほぼ全員が、裁判所に提訴する前に和解金を受け取ることになり、公的な犯罪記録は残らず、もし虐待の細部が漏れたなら、教会は和解金を取り戻せるという秘密保持契約が交わされていた。

ある弁護士はこう述べている。「明らかに、秘密保持契約は加害者に有利に働いた。この契約がさらなる悪行を続けさせたからだ」。そして、事件を起こした司祭は「異常」であり、「まれな例外」とされてきたことが、被害の連鎖を生み続けることになった。

人生を傷つけられ、命も奪われた

被害者たちは、その後も人生で大きな傷を受けたままとなった。被害者が加害者の司祭に銃を発砲し、重傷を負わせる事件も発生し、被害者や加害者の司祭が自殺したケースも多数起きたというのが痛ましい。

12歳の時に虐待を受け、20年間苦しみ続けてきた男性の言葉は重い。彼は3歳の息子を過保護なほど気を使いながら生きているという。

「絶対に目を離さない。いつもそばに置いておく」「誰も信用しない。司祭が子どもに性的いたずらができるなら、どんなことだってあり得るからね」

別の男性はこう語っている。

「われわれのカトリックに寄せる思いを破壊しただけでなく、信仰体験をもだいなしにした」「ほかの全てがだめになっても、教会だけは最後の砦だった。今はどこへ行けばいいんだ?」「司祭たちのしたこと、教会がしでかしたことの波紋は・・・とてつもない。彼らが手を下したとき、まだ定まってもいない若い人生を破壊したんだ」

研究者からの教会制度と神学教育への問い

聖職者の違法行為を調査しているインディアナ大学社会学部の教授は「カトリック教会ほど、この問題に大々的にむしばまれている宗教はない」「その数はプロテスタントの比ではない」という。別の研究者は「強欲で常習的な子どもへの性的虐待者はプロテスタントにいないし、プロテスタント組織はカトリック組織のように寛容ではない」と指摘している。

神学校の教師でもある神父は、その原因が司祭職制度そのものに内在すると指摘している。孤独な職務であり、特権が与えられ、若者、特に少年と接する機会が多々ある。司祭が女の子といると警戒されるが、男の子なら誰も不審に思わない。また、適性検査なしに神学校に入学を許可され、神学校教育の中では全く性教育が行われず、親密さと性の問題に対峙する必要性が認識されない。

もし思春期に神学校に入って、自分の性的指向セクシュアリティー)を自覚する機会を持たず、一度も他者との親密な関係を結ばずに終われば、矛先を向ける相手が身近にいる若者たちとなる危険性は極めて高いという。

また、問題を起こした司祭が送られる精神療養施設の多くが、教会が出資しているいわば「身内」の施設であったことへの批判もある。精神科医のアドバイスを受け入れず、危険な司祭の多くは再び教会に戻った。そして、教会と精神科医の間で責任のなすりつけ合いが起きたという。

事件を犯した司祭たちは転任し、治療施設に入院し、司祭を辞めた後も年金を受けるなど、「保護」といってよい状態にあった。一方で(司祭と許可を受けた助祭だけが洗礼を授けることができるという)教会法に反して、2人の少年に洗礼を施した、72歳の修道女シスター・ジャネット・ノーマンディンは修道会から追放された。この二つの事件への教会の対照的な態度への怒りも述べられている。

「本当にむかつくのは、彼らに比べれば、とるに足らないことをした人々に、教会がどれほど冷酷かつ不寛容だったか、知っているからだ。離婚したカトリック教徒を賤民扱いし、教会での再婚を許さない彼らを見てみたらいい。ゲイの人々にどれだけ不寛容で手厳しいか、見るといい」

この辛辣(しんらつ)な批判は、私が所属している日本基督教団を思い出さずにはいられない。熊本白川教会の牧師によるセクシャルハラスメント事件で敗訴が確定しても、組織としては何もしない一方で、フリー聖餐を理由に横浜紅葉坂教会の北村慈郎牧師を免職し、神学大学の教授がゲイの人々に明白な差別発言をしても、全く反省もせず、責任もとっていないというのは、ほとんど同じ体質としかいいようがない。教会が「権威」を持つとき、似たような腐敗が始まるのだろうか。

スケープゴートとしての同性愛批判

また、加害者にはゲイの司祭も多くいたものの、研究では、同性愛と性的虐待に関する関連性があるかは、統計からは明らかになっていないという。ゲイの司祭の大半が、もちろん性的虐待をするわけではない。しかし、これらの事件と報道のあと、教会の中ではゲイの司祭への批判が強まり、叙階すべきではないという議論が起きたという。しかし、カトリック教徒のゲイ団体「ディグニティUSA」の代表はこう述べている。

「彼らはゲイの司祭たちを、何十年も続いた犯罪的虐待のスケープゴートにした」

全く同感としか言いようがない。問題は「同性愛がキリスト教や聖職者として正しいか否か」ではなく、「聖職者による性的虐待」という刑事事件が頻発したこと、教会が組織として隠蔽し続けてきたことなのだから。

ショックのあまり論点をずらしては、問題を見誤るだろう。

教会の「変革の苦しみ」

最終章では、「変革の苦しみ」と題して、教会再生のための取り組みについても記されている。神学校では、近年教育の改善が行われているという。召命担当の神父は、神学生にシンプルだが貴重なアドバイスを述べている。

「友達を作れ、常に『神父』として接する必要のない仲間を。リラックスする時間を作れ」

またカトリック教会の内部では、司祭の独身主義に対する疑問や、信徒同士の団体も立ち上がり「権力と男性優位と秘密主義」への批判と「教会の権力構造を変えなければなりません」という声が、歴史上かつてないほど強まっているという。

最後に

本書には、映画のような感動もカタストロフもない。読んでいてただ驚き、呆れ、茫然としてしまう。ただただおぞましい。300ページ読んでいて、唯一胸を打たれたのは、父親と2代にわたって虐待を受けたブレンシェットという男性のエピソードだ。彼が虐待を受けた神父の元を25年ぶりに訪ねたときのことが、こう記されている。

「『私がここに来た本当の理由を言います。私がここに来た真の理由は二十五年間あなたを憎み、敵意を抱いてきた許しを請うためです』私がそう言うと、彼は立ち上がり、噛みつくように言いました。『なぜ、私の許しを請うんだ?』涙ながらに私はこう答えました。『なぜなら聖書に汝の敵を愛し、自分を虐げる者のために祈れとあるからです』と―」

胸にパンチをくらったかのようにバーミンガムは崩れおちたと、ブレンシェットは言った。司祭は泣き崩れ、ブランシェットも泣いていた。

クリスチャンとして胸を突かれるシーンではあるが、このエピソードをもって「赦(ゆる)し」や「和解」で片付けることはとてもできないだろう。しかし本書が、日本の教会にも大きな問い掛けを突き付けていることは間違いない。近年キリスト教について書かれた本の中で最も重要な読まれるべき1冊だ。

 

 

 

 

 

キリスト教といえば「愛」の宗教、という定式ですが。

 

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愛(アガペー)の花、アガパンサス

 

実際には、堕胎を行う産婦人科医師を教会で礼拝中に射殺したり、同性愛者の肛門にビール瓶を突っ込んで殺したり、よくある例では、聖堂内で嫌いな信者の悪口をわざと聞こえるように言ってみたり、キリスト教での「愛」の定義は非常識なのが一般的。

ホルス

キリスト教のオリジナルは、ローマ帝国内に蔓延していた民間宗教だったことがわかります。

 

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ツタンカーメンの墓に描かれたホルス。足には十字架がある。

 

ホルスというサイトから引用します。

 

エジプトにはBC3000年頃から祭られている「ホルス(HORUS)」がいる。ホルスの生い立ちは次のように伝えられている。

 

12月25日、聖母イシス・メリーから生まれる。ホルスの誕生には東方から星が現れ、3人の王が祝いに駆けつけ新しい救世主として崇拝した。12歳で天才児として教育者となり、30歳でアナブによって洗礼を受け、聖職活動を始めた。12人の使途と旅を共にし、病を治したり水の上を歩くなどの奇跡をおこした。ホルスは多くの名前で知られていた。真実、光、神の子、よき羊飼いなど。タイフォンに裏切られた後。十字架に張り付けられ埋葬されたが、3日後に生き返った。

 

これ、名前は違うけど、新約聖書のキリストと同じじゃないの? ホルスばかりではない。似たような話は他にもある。

 

BC120年 古代ギリシャのアティス
12月25日、聖母ナナから誕生。十字架にかけられ、3日後に蘇る。

 

BC900年 インドのクリシュナ
処女である聖母デヴァッキから誕生。東方に輝く星が出現した後、弟子達と数多の奇跡を起こし死亡した後復活。

 

BC500年 ギリシャのダイナイシース
12月25日聖母から誕生し、旅の宣教師となり、水をワインに替えるなど数々の奇跡を起こした。彼は王の王、神の唯一の息子、アルファとオメガなど、その他多くの呼び名で知られた。そして死亡した後、復活した。

 

BC1200 ペルシャのミスラ
12月25日、聖母から生まれた。12人の弟子をもち奇跡を起こした。死亡して埋葬された3日後に復活した。殻もまた、真実、光やその他の呼び名を持っていた。ミスラの神聖な崇拝は日曜だった。

 

ちなみに、東方の三人の王(博士)とは、東方の星シリウスシリウスは12月24日にオリオン座の3つの星と直線に並ぶ。この3つの星は古代、「3人の王(THREE KINGS)」と呼ばれていた。3人の王ともっとも輝くシリウスは、12月25日の太陽の昇る位置を指している。だから3人の王が、東方の輝く星に導かれ、太陽の誕生を訪れる。太陽の誕生とは、占星術的には日の出のことである。 

 

三位一体

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三神一体 - Wikipedia

 

三位一体はキリスト教独自のアイデアではありません。神が3つのパーツから成立する、というアイデアには、実に多くの例があります。

 

たとえば上写真の三神一体」の項には

三神一体(さんしんいったい)またはトリムルティ([trɪˈmʊərti];サンスクリット: त्रिमूर्तिः trimūrti、"3つの形"の意)は、ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする3つの様相に過ぎないというヒンドゥー教の理論である。すなわち、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱は、宇宙の創造、維持、破壊という3つの機能が3人組という形で神格化されたものであるとする。一般的にはブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァがそれぞれ創造、維持、破壊/再生を担うとされるが、宗派によってバリエーションが存在する。

 

また、ウィキペディア三相女神」には、

紀元前7千年紀のアナトリアの村では女神の三相を表す、「うら若き少女(妙齢の処女)」、「成熟した母親」、「老婆」の3つの姿が描かれた太女神を崇拝した[1]、「三相一体の女神には3人の最も高貴なものたち」として知られている[2]。それは満ちる月・満月・三日月(欠ける月)という月の三相でもあり、死と再生を繰り返す永遠の循環をも意味している。多面性を持った複雑な多種の相を持つ女神や魔女などは、刻々と姿を変える月に重ねられたのである。

 

という説明があります。つまり、神と言えば3つに分割するもの、という常識がキリスト教成立当時の流行であって、ユダヤ教男神一人だけだったので少し流行に遅れているようなイメージだったのでしょう。それで、新規に立ち上げるキリスト教はどうせなら3分割を取り入れておこう、そういう感じでキリスト教の神は「三位一体」ということになったわけです。